フェラガモは、天才サルヴァトーレ・フェラガモという靴職人によって作られた高級ブランドです。世界的に有名で、100年以上の歴史を誇るイタリア発のファッションブランドです。
フェラガモ(Ferragamo)とは、靴のデザイナー、サルヴァトーレ=フェラガモ(Salvatore Ferragamo)が立ち上げたイタリアの高級靴ブランド。サルヴァトーレ=フェラガモは、1898年イタリアカンパニア州アヴェッリーノ県ボニート生まれ。11歳で靴屋を開業、15歳のときにアメリカに渡りた。ハリウッドの俳優らを顧客にし『スターの靴職人』といった名声を得て、1927年にイタリア=フィレンツェで『フェラガモ』を開業。47年には革命的と言われた『見えない靴』、ウェッジ=ヒール、フラットフォーム=ソールなどを生み出し、350余り物特許を取得した。
1960年死去。ブランドは妻と子どもたちによって受け継がれ、現在はトータルファッションブランドに。2002年には、香水部門を独立させた、フェラガモ=パルファム社を設立した。 フェラガモの顧客には、イングリッド=バーグマン、マリリン=モンロー、オードリー=ヘプバーン、ソフィア=ローレン、マレーネ=ディートリッヒ、ジュディ=ガーランド、カルメン=ミランダ、キャサリン=ヘプバーンなど多数のハリウッド女優がいた。 フェラガモの店舗は全世界に広がっており、なんとレストランまであるんなのだよ。日本にあるのは六本木の『イル=ボッロ東京』。中世を再現する村『イル=ボッロ』をコンセプトに、サルヴァドーレ=フェラガモが自ら監修した。 フェラガモ、ファッションだけでなく料理も楽しめるなんてステキなのだね。
サルヴァトーレ・フェラガモ - Wikipedia
サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo, 1898年 - 1960年)は、イタリアの靴を専門とするファッションデザイナー。または彼が創設したブランド。ブランドとしてはフェラガモと略すことも多い。
サルヴァトーレ・フェラガモ
サルヴァトーレ・フェラガモは1898年、ナポリ近郊のボニート村に生まれました。思春期を迎える前から靴に対する旺盛な情熱を既に見せ始めていました。 11歳でナポリの靴屋の見習いとなり、13歳でボニート村に自分の店を構えました。
当時、サルヴァトーレは、自分が将来本当に何をやりたいかというを判っていました。それまでやや下賎な職業だと考えられていた靴職人の地位を高めることと、機能的にもデザイン的にも完全な靴作りを目指すことで質の高いクラフトマンシップの概念を現実化することでした
■アメリカでの冒険
サルヴァトーレは14歳でアメリカへ渡り、ボストンの靴会社で働いていた兄弟のところに身を寄せました。ボストンで彼は近代的な機械に魅せられたものの、同時に不満も募らせました。「こんなのは靴づくりじゃない!」20年代前半にはカリフォルニア州サンタバーバラに移り、靴の修理店を開きました。
■映画との出会い
カリフォルニアは映画産業が繁栄する夢の土地でした。サルヴァトーレは西部劇用のカウボーイブーツや、著名な監督による歴史大作映画用サンダルなどの製作を始めました。それを履いた男優や女優はサルヴァトーレのつくる靴の美しさと快適さのとりこになり、プライベートの靴の製作も依頼するようになりました。一方、サルヴァトーレ自身は「パーフェクトにフィットする靴」をたゆまず追求し続け、仕事のかたわらロサンゼルス大学で人体解剖学、化学工学、そして数学を学びました。
■成功と神聖化
映画産業がハリウッドで勃興するのを機に、サルヴァトーレ・フェラガモは1923年、「ハリウッド・ブーツショップ」を開店し、「スターの靴職人」としての人生をスタートしました。メアリー・ピックフォード、ルドルフ・ヴァレンチノ、ジョン・バリモア・ジュニア、ダグラス・フェアバンクス、グロリア・スワンソンといった有名なスター達がサルヴァトーレ・フェラガモの上得意客となりました。
サルヴァトーレは女性の靴をより優雅にそしてより快適なものにしただけでなく、自身初のサンダルもつくりました。店があまりにも繁盛し注文をさばききれなくなり、いよいよ事業を拡大すべき時が到来しました。
■フィレンツェという選択
しかし、彼が本当に望むような質の高い靴を、アメリカ人労働者の未熟な技能ではつくることができなかったことから、1927年、サルヴァトーレは熟練職人の伝統を持つイタリアのフィレンツェに戻る決断をしました。 そして、フィレンツェにあるサルヴァトーレの工房から、アメリカへ靴を輸出し続けたのです。この工房では、すべての職人が専門化された作業を手仕事のみで行っていましたが、新たに流れ作業の生産ラインシステムも導入しました。
■国内市場のサポート
1929年に始まった大恐慌により、アメリカ市場との関係が突然中断されてしまい、会社は倒産の憂き目に会います。しかしサルヴァトーレはこれをバネとし、国内市場にエネルギーを振り向けました。事業はきわめて順調に推移し、1936年には2つの工場とトルナブオーニ通りにあるスピーニ・フェローニ宮殿に出店をするほど成功しました。当時のイタリアはムッソリーニの統制経済下にありましたが、この時期にサルヴァトーレ・フェラガモは頑丈で軽いコルクでできた「ウェッジ」シューズを発表するなど、彼の作品の中で最大級の人気モデルをいくつも制作しています。
当時はあらゆる物資が統制されていたため、レザーやスチールを靴に使用することができませんでした。そのような逆境に対してサルヴァトーレ・フェラガモは創造力を駆使し、コルク、金属の糸、ラフィア繊維、フェルト、ガラスに似た合成樹脂等の革新的な素材を次々と彼の靴に採用していったのです。
■宮殿と家族
1938年には、後にサルヴァトーレフェラガモの本社となるスピーニ・フェローニ宮殿全体を購入するために、第1回目の割賦払いをするところまで事業は成功しました。1940年、サルヴァトーレはワンダ・ミレッティと結婚し、3男(フェルッチォ、レオナルド、マッシモ)3女(フィアンマ、ジョヴァンナ、フルヴィア)に恵まれました。
■再び国際的な成功
戦後、サルヴァトーレフェラガモの靴は復興の兆しの見えてきたイタリアのシンボルとなりました。また、この時期にはいくつもの忘れがたい新モデルが誕生しています。マリリン・モンローによって一躍有名になった細いスティレットヒール、18金サンダル、そして目に見えないナイロン糸でできたサンダル等です。この「見えないサンダル」は1947年に「ニーマン・マーカス賞」を受賞しました。
■トップクラスの有名人が
1950年には700人の従業員を使い、1日あたり350足の靴を製造するまでに成長しました。トルナブオーニ通りの店は、グレタ・ガルボ、ソフィア・ローレン、アンナ・マニャーニ、ウィンザー公夫妻、オードリー・ヘップバーンなど、トップクラスの有名人が靴をオーダーするためにわざわざ訪れるほどの名所となりました。
■将来への挑戦
この時期、初めて製造過程に機械が導入されましたが、依然として一部の過程への導入にとどまっていました。サルヴァトーレ・フェラガモには、製造過程の中の単純な部分には機械が必要だが、その他はすべて職人の手仕事で仕上げねばならないという信念がありました。サルヴァトーレフェラガモの製品に対する完璧主義は、いまだかつて他社に生産ライセンスを供与したことが1度もないという事実からも、うかがい知ることができます。
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